北海道教育の先進地
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5月に撮影した松前城です。その右側の本丸御殿跡に、あるものが残っています。
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それがこれです。松城尋常高等小学校の正門です。松城小学校の前身は福山公立学校で、明治8年10月に開校しています。道内では、同年4月に開校した函館の会所学校の次になります。児童数は函館の1.5倍で、建物は松前城(福山城)の本丸御殿を利用しました。正門がここにあるのはそのためです。
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明治33年に小学校令が改正され、本丸御殿の建物を解体して、松城尋常高等小学校が建立されました。この小学校は、吉田三郎右衛門の私財を中心にしてつくられたもので、全道小学校の中心的な学校でもありました。『概説 松前の歴史』によれば、「当時としては驚異的な近代建築の小学校」と書かれています。

調べていくと、松前は北海道教育の先進地であったことがわかります。全道に高等科と尋常科を併設した小学校が置かれたのは、札幌、函館、福山(松前)だけです。松城小学校はその1校だったわけです。さらに、尋常小学校は、全道に7校つくられましたが、それは小樽、函館、江差、根室、そして福山の3校(福山女子小学校、熊野小学校、山上小学校)だけです。北海道に置かれた尋常小学校7校のうち3校が松前にあったのです。このことは何を意味するかといいますと、松前は北海道教育の中心地であったということです。

興味深いのは、北海道における最初の教員養成機関が函館の会所学校と松城学校に置かれたということです。松前から北海道の教員が育っていったのです。同時に教育研究が盛んで、福山教育界が組織され、『福山教育会報』(後に『松前教育会雑誌』となる)を発行し、教員の資質能力の向上を図っていました。この雑誌は、札幌の『北海道教育会雑誌』が刊行されるまで続いたといいます。このような歴史があったとは驚きです。あらためて松前の歴史の重みを実感しました。
by manabinomori | 2009-08-26 20:24 | 松前の文化と自然
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