国指定史跡 国泰寺跡
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厚岸はアイヌ民族のコタンとして栄えていました。東北海道におけるアイヌ民族の首都であったのです。寛永年間(1624~44)に、松前藩がアッケシ場所を開設し、文化元年(1804)徳川幕府が外敵防護と夷人慰撫のため国泰寺を建立しています。幕末には、最上徳内、近藤重蔵、間宮林蔵、松浦武史郎が訪れています。厚岸の語源については、アイヌ語のアッケウシ(オヒョウニレの皮をいつもはぐ所)との説が有力といわれています。凄いのは、表記として、アッケシ・渇結失・阿津気志・悪消・熱消・朱化石・厚岸などが使われていたことです。なぜここがアイヌの首都であり、松前藩の要所であったのかは訪問してみるとすぐにわかります。それは、厚岸湾と厚岸湖の存在です。港として、漁場として、優れた場所になっているからです。
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蠣崎波響が描いた「夷酋列像」のイコトイはアッケシの酋長でした。母はチキリアシカイで、チキリアシカイはツキノエの妹です。夷酋列像の舞台は厚岸にあるのです。しかし、厚岸郷土館を見学しても彼らのことはまったく出てきません。町のホームページには「クナシリ・メナシの戦い」の解説があるぐらいです。アイヌの歴史を知る手がかりがもっとあってしかるべきだと思いますが。もしかすると私が発見できなかっただけかも知れません。
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先にも触れましたが、厚岸には国指定史跡 国泰寺(こくたいじ)跡があります。
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こんな状態であるのはいかがなものでしょうか。涙が出ます。
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江戸幕府が東蝦夷地の警備を目的にして建立したものです。
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活動範囲は、トカチ、クスリ、アッケシ、ネモロ、クナシリ、エトロフです。
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厚岸の歴史が特別なものであったことを思い起こさせます。
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美しい。松前の寺町を思い出してしまいました。
by manabinomori | 2011-07-31 18:06 | アイヌデザイン | Comments(0)
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