「学びの森」第24号(平成19年6月22日)
「学びの森」第24号(平成19年6月22日)_b0108779_15474355.jpg
「学びの森」第24号は、明日、「シラバス(年間授業計画)」「木の手づくり旭川展(ご案内)」と一緒に保護者の皆様へ送付させていただきます。今年は、ブログに力が入り、本業の発行が少なくなっています。宿泊研修につきましては、学校だよりに掲載します。

PDFファイルにてご覧になれます → 学びの森(第24号)

感動が走った!銀河鉄道づくり
北海道教育大学岩見沢校芸術課程美術コースと連携授業を実施

 6月8日(金)、本校のホールが感動で満たされました。北海道教育大学岩見沢校芸術課程美術コースの66名と、本校3年生の24名がつくった鉄道模型「銀河鉄道」がひとつにつながったのです。村内の園児、小学生、中学生、地域住民が鑑賞する中で、大学生と高校生がつくった鉄道模型に列車が走り、大きな感動が生まれました。
 今回の鉄道模型づくりは、北海道教育大学岩見沢校の集中講義を音威子府村で行うことからスタートしました。本村で行うなら、ぜひ本校生も参加させていただきたいという願いに、岩見沢校が応えてくださったことがはじまりです。
 大学の集中講義は「基礎造形Ⅰ」で、トムテに宿泊しながらの制作でした。土台づくりは、本校の施設を使い、本校生がサポートしました。制作の合間をぬってエコミュージアムや本校の見学も行い、幅広い集中講義になったと思います。
 北海道教育大学岩見沢校は、2年前から新課程となり、美術コースが設置されました。これからの北海道の芸術・文化を支える人材を育成する大学から、どのような作品が生み出されるのか、とても注目していましたが、彼らは期待以上の作品を創造しました。「ファイン・アート」を掲げる大学らしく、創造力に満ちた、今後に期待させる作品ばかりでした。
 本校生は、限られた時間の中での制作でしたが、大学生の作品から大きな刺激を受け、工芸高校らしい木材などを利用した作品をつくり上げました。創造力という点では大学生には及びませんが、グループごとにアイディアを出し合い、楽しく、これまでにない制作をすることができました。完成したときの喜び、銀河鉄道がひとつにつながった時の感動、小学生から「こんな世界にすみたい」と喜ばれたことなどは、今後の制作に生かされるでしょうし、素敵な思い出として生涯の財産になると思います。
 今回の高大連携は、大学生と高校生が同じテーマで連携しながら制作するという、全国でも貴重な実践になりました。岩見沢校の二上正司先生、羽子田龍也先生、ありがとうございました。

=3年生の感想=
○みんなでつくったものがひとつになって感動しまし  た。素晴らしい経験でした。
○大学生は様々な素材を使っていたので、負けられない と思って頑張りました。
○子どもたちが喜んでくれてうれしかった。
=小・中学生の感想=
○いろんな世界があってすごかったです。(小5)
○身近なものを使っていて印象に残りました。(小6)
○不思議な世界や童話のような世界でいっぱいだった。 美術の授業でいかしたい。(中2)

 「銀河鉄道」を鑑賞した子どもたちは、SF映画でも見るかのように驚き、新鮮な衝撃を受けたようです。そして、この楽しく不思議な世界を列車で走りたいと思ったようでした。「手がとても怖かった」という感想がありますが、子どもたちは、これらの作品をとてもリアルに感じていました。美術館などで行われている小中学生向けのイベントより、楽しく美術の可能性を教えることができたように思います。こういう美術(図画工作)教育は大切です。最後に行われた発表会では、難しい説明もありましたが、とても真剣に聞いていました。それは、作品の素晴らしさがそうさせたのだと思います。創造性に満ちた夢のある作品は、子供たちの心を釘付けにすることができるのです。

 6月6日のデッサン講習会では、学生の指導でお忙しい中、スペシャルゲストとして北海道教育大学岩見沢校の羽子田龍也先生のご指導をいただきました。デッサンの基礎について、そして生徒の質問にも丁寧に対応して下さいました。「デッサンとは見ることです」「素直に描くことです」という言葉は生徒の心に残ったと思います。夜遅くまで、ありがとうございました。

地域とともに歩む高等学校教育
河上實館長が教頭会で講演

 教頭会名寄ブロック研究協議会が本村で開催され、六月一日にはエコミュージアムの河上實館長による「地域とともに歩む高等学校教育」という講演会がありました。
 講演では本校設立から現在に至るまでの歴史について、様々なエピソードを交えながらお話しされました。昭和47年からの過疎化に伴う小中学校の統廃合、昭和53年の入学生が6名だったこと、木材工芸がスタートしたいきさつ、昭和58年の工芸科への転換、村立高校としての存続、そして昭和53年の砂澤ビッキの入村など、熱のこもった内容でした。それはまさに音威子府村の歴史そのものです。
 現在の高等学校教育では「地域に根ざした教育」の必要性が問われていますが、本校はその先駆的な存在であり、地域の大変な努力によってつくられた学校であることがわかります。大変素晴らしい講話で、参加されていた皆さんは感銘を受けていました。ありがとうございました。
by manabinomori | 2007-06-21 15:51 | おと高 学校経営
<< 放課後の工芸棟 日本画 >>