という恐るべき情報が、「zenzo-art」の三澤一実先生から入りました。すでに高校ではその傾向が強まり、最悪の状態になりつつありますが、それが義務教育にまで及び始めました。つまり、日本の教育において必要なのは、国・社・数・理・英の学力であって、美術や図画工作が育成する力=個性の伸張、創造力、豊かな心と感性、美意識、問題解決能力、集中力、達成感、向上心、さらには日本文化の継承と新たな文化の創造などは必要ないということになります。いったい日本はどのような子どもたちを育成したいと考えているのでしょうか?このような教育を推進して未来は豊かになるのでしょうか?それはまるで公園のない街づくりをしているのと同じです。ただ巨大なビルディングを乱立させようと必死になっているようにしか思えません。それだけでは私たちは豊かになれないことを知るべきです。むしろ、いま必要なのは美しい公園をつくることではないでしょうか。 以下に、北海道おといねっぷ美術工芸高等学校「美術工芸教育実践研究発表会~創造力を育成し人間力を高める」(平成19年10月19日)にて、私が発表した『豊かな人間性と創造性を備えた人間を育成するために』を掲載させていただきます。 豊かな人間性と創造性を備えた人間を育成するために 北海道おといねっぷ美術工芸高等学校長 石塚耕一 ■ はじめに 平成11年に告示された学習指導要領において、それまであった「芸術について、すべての生徒に履修させる単位数は、3単位を下らないこと。」という規定が削除された。学習指導要領には、「すべての学校において、芸術に関するⅡやⅢを付した科目を、生徒が自己の興味・関心等に応じて選択履修できるよう配慮すること」と示されてはいるものの、実際には各高等学校の教育課程からは芸術教科が削減され続けている。 芸術教育は、日本の教育において、生徒の個性を伸ばし、創造力を育てるという重要な役割を担ってきた。これからの日本文化の創造という視点においても、高等学校における芸術教育は大切である。ここでは本校の実践を踏まえながら、美術・工芸教育の課題と成果について検証してみたい。 ■ 芸術教育の現状 1 削減される芸術教科 現行の学習指導要領では、普通科における芸術教科の履修単位数が2単位だけでよくなった。このことによって、それまで行われていた1年次「芸術Ⅰ」(2単位)、2年次「芸術Ⅱ」(2単位)、3年次「芸術Ⅲ」(2単位)という一般的な履修パターンが崩れた。3年次の「芸術Ⅲ」については、以前から学校の特色により柔軟に対応していたが、学習指導要領の改訂後は、「芸術Ⅱ」「芸術Ⅲ」を履修しない傾向が強まった。 さらに「音楽」「美術」「工芸」「書道」の選択制を廃止し、1年次に「音楽Ⅰ」を全員履修とし、他の芸術科目は設置しない高等学校が増加している。学力向上のために、芸術教科の単位数をできるだけ減らし、それを国語、数学、英語等の教科に振り分けようというわけである。それまでの高等学校では、芸術科教員を3名(一般的には音楽・美術・書道)配置しているのが多かった。しかし進学指導や学力向上を掲げることにより、芸術科教員の退職や転出を機に他教科の教員にかわりつつある。芸術科教員は講師で十分という意見まで語れる時代になった。一度高等学校から消えてしまった芸術科教員は、「総合学科」か「単位制高校」にでもならない限りもどることはない。こうして日本の高等学校から芸術科教員が減少し続けている。 これまで3年間で4~6単位学ぶことができた芸術教科が、2単位しか学べない時代になりつつある。しかも「音楽」「美術」「工芸」「書道」の選択をすることさえ許されない時代の到来は、日本の教育において由々しき問題であると考える。このことは、学習指導要領改訂の趣旨である「豊かな人間性を育むとともに、一人一人の個性を生かしてその能力を十分に伸ばす新しい時代の教育」と矛盾することではないだろうか。 今の教育に求められていることは、生徒の興味・関心に応じ、個性を伸ばし、豊かな人間性を育成することである。数学は苦手だが歌は得意である。運動は苦手だがイラストを描くと素晴らしい。ピアノを弾かせると多くの生徒に感動を与えることができる。国際交流で外国の人に書道を披露することができる。来校者にやすらぎを与える油彩を描くことができるなど。日本にはそういう個性を持った素晴らしい生徒がたくさんいる。彼らにとって芸術の時間は、自分が認められ、自分の可能性を伸ばせる最高の時間でもある。国際社会に生きるこれからの人材を育成すべき日本において、このことはもっと尊重されるべきではないだろうか。 私は多くの生徒に美術を教えてきた。彼らは美術の授業をとても楽しみにしていた。美術があるから高校生活が楽しかったという生徒も多い。目を輝かせながら意欲的に制作する姿には、芸術教育だからこそ成し得る喜びがあったのである。そして彼らは、卒業してからも各地域の文化の担い手として活躍している。そのことを忘れてはならない。 これから入学してくる生徒に、美術の授業が保証されないとしたらあまりにも悲しい。高等学校教育から芸術教科が削減されていくことは、生徒ばかりではなく日本にとっても大きな損失になるであろう。 2 文化活動が衰退する 高等学校から芸術科教員が減少するということは、教育活動に様々な影響を与える。本来、高等学校は様々な専門教員がいる地域の文化センターであったはずである。そのことが高等学校としての存在感にもつながっていた。そこから芸術科教員がいなくなることは、高等学校から文化を失うことになるのではないだろうか。個性を生かし、美しいものを美しいと感じさせ、生徒の内面に迫りながら豊かな心を育成し、高等学校に活気をもたらすことができたのは芸術科教員の存在があったからである。 芸術科教員が3名から1名になったときに影響を受けるのは部活動も同じである。芸術科教員が担当しているのは、主に吹奏楽部、合唱部、美術部、工芸部、書道部であるが、これらの指導者がいなくなることは、明らかに文化系部活動の質の低下を招く。長期的な視点に立てば、日本の人材育成においてもマイナスである。全国高等学校総合文化祭に象徴されるように、日本の高等学校の文化活動はとても高いレベルにある。世界一といっても過言ではない。日本を代表する芸術家も多数輩出している。その背景には芸術科教員がいたことも事実なのである。 『所ジョージの笑ってこらえて吹奏楽の旅』というテレビ番組がある。全国大会を目指す吹奏楽部のドキュメンタリー番組であるが、吹奏楽の部員が目標達成のために一丸となって取り組む姿は感動的である。そこには努力によって生まれる感動の素晴らしが描かれ、多くの人に共感を与えた。日本では運動部の活躍ばかり注目されてしまう傾向にあるが、実は文化系の部活動からも同様の感動が生み出されているのである。 行事への影響も無視できない。学校祭のステージにおける吹奏楽の演奏や合唱、ホールや教室での美術展や書道展、あるいは壁画、仮装、行灯などの行事や活動を支えてきたのは芸術科教員である。音楽、美術、工芸、書道というそれぞれの芸術活動の広がりが学校に活力を与え、学校を豊かにしてきたのである。美術や書道の教員が削減された高等学校では、文化活動が衰退し学校から活気が消えたという報告がある。私たちの生活から芸術や文化がなくなったら味気ないものになってしまうが、それは高等学校も同じなのである。 3 地域の文化活動に影響する 高等学校から芸術科教員がいなくなることは、地域の生涯教育にも影響を与える。個人的なことではあるが、私は赴任した4つの高等学校で地域の文化活動を支援してきた。ある高等学校では学校開放講座(美術教室)を担当し、絵画指導を5年間担当したが、そこでの地域住民は生き生きと活動していた。描くことがで生きる喜びにつながっていたのである。さらに、そのことが学校理解と学校支援にもつながることになった。芸術科教員は地域の生涯学習をサポートすることができるのである。 音楽の教員が地域の合唱を指導していた高等学校でも同じであった。彼女たちが地域で必要としていたのは音楽教員だった。高齢であった彼女たちにとって歌は生き甲斐であり、生きるエネルギーになっていた。 地方において、合唱、吹奏楽、絵画、書道等の指導者はなくてはならない存在である。それを担当しているのが高等学校の芸術科教員である。したがって芸術科の教員の減少は、地域の文化活動に深刻な影響を与えることになる。このように、芸術科教員は地方の文化活動の主役となっているのである。 ■ 夢を語れる学校づくり 1 デイヴィッド・ナッシュ イギリスを代表する彫刻家デイヴィッド・ナッシュは、1994年に音威子府の森で優れた作品を制作した。本校でも公開制作も行い、生徒に特別講義を実施している。その彼が本校についてこう述べている。 「学校という場所は本来、社会に貢献し、そこで活躍する若者たちを育てていくところです。おといねっぷ美術工芸高校はそういう意味で、魅力ある素晴らしい見本となる学校です。数多くの教育機関では自然の材料を学校教育にうまく取り入れことができないままです。実はその自然自体が偉大な教師であるにもかかわらずそうなのです。物事を立体的に考える力は創造力を鍛えることになり、そうすることで自己に対する自信と生きていくことへの健全な態度が育成されるのです。」 2 夢を語れる学校づくり 本校は、人口千人に満たない音威子府村にある村立高校である。村にとって本校は大きな存在であり、ある意味では村の文化や産業の一端を担っている。村の86%を占める森林、工芸作家砂澤ビッキの美術館、「村技」といわれるクロスカントリースキーの存在は、そのまま本校の高いレベルの美術・工芸作品や全国総合2連覇を果たしたクロスカントリースキー部の活躍と重なる。過疎と少子化の中で、本校に寄せられる期待は大きく、その取り組みそのものが村の活性化につながっている。 このことから、本校の学校経営は、生徒・保護者・村民・教職員がともに「夢を語れる学校づくり」をめざしている。その実現のために以下の教育を推進している。 ① 全ての教職員が一人ひとりの生徒を大切にする。 ② 生徒の可能性を見つけ、伸ばし、自信を与える。 ③ 生徒とともに学び、感動できる教育を実践する。 ④ 高大連携事業を推進し、魅力ある教育活動を展開する。 ⑤ 国立教育政策研究所教育課程研究指定校として、教育の質的向上を図る。 ⑥ 地域との交流を図り、村の文化センターとして貢献する。 全道唯一の工芸科として工芸コース、美術コースを設置し、「描く、つくる、対話する」ことによって、創造力を育成し人間力を高める教育を実践している。入学してくる生徒は全国各地から集まる。美術・工芸が好きな生徒はもちろんであるが、中には中学校時代不登校だったり、コミュニケーション能力に欠ける生徒もいる。教育目標は「造形体験を重ね、創造力を育成する」である。北海道唯一の工芸科として、生徒の興味・関心に応じた多様な科目を設置し、一人ひとりの個性を尊重しながら、ものづくりをとおして豊かな人間性を育成している。 具体的には、一人ひとりの個性や進路に対応できるコース制。カヌー制作、日本画、陶芸など、生徒の興味・関心に柔軟に対応できる学校設定科目の設置。「総合的な学習の時間」を活用した地域行事との連携。少人数指導と複数教員配置によるきめこまかい指導である。系統性を生かした学習によって、質の高い美術、工芸作品を制作している。 ■ 創造力を育成し人間力を高める 1 描く、つくる、対話する 一つの椅子を制作するにあたって、描くデッサンは50枚にも及ぶ。描くことは椅子を理解することにつながる。描けば描くほどアイディアは生まれる。その作業はまさに生徒が持っているイメージを全て引き出す作業のようでもある。そうすることによって思わぬアイディアが生まれることもある。このことによって椅子への意識も高まる。デッサンは自分の世界を一歩広げることができる道具のようなものである。描くことは創造力を育成し、忍耐力や粘り強さも育成する。また、描くことは自分自身と向かい合う行為である。描くことによって、自分を知ることができ、他人を知ることができるのである。それが自分を成長させることにつながっている。 現行の学習指導要領によって、小学校の図画工作や中学校の美術の時間数が削られた。その結果、日本の児童生徒の描く絵に力強さが消えていった。特に描写力が弱くなったことはよく指摘される。対象にしっかり向き合わないまま、限られた時間で見栄えのよい作品をつくろうとするため、作品に強さがなくなってしまったのである。今では美術教育の中で集中力を身につけさせることも難しくなってきている。そのため、デザイン的には優れた作品があっても、安易な作品が多くなり、情熱や迫力がみられなくなってしまったのである。その差は、20年前の子どもたちの作品と比較する歴然としている。 本校では週3回、夜にデッサン講習会を実施している。全校生徒の3分の1が参加し、石膏像を前に黙々とデッサンする。このことによって、空間や明暗をとらえる力、描写する力、そして思考力を育成している。静寂な空間の中で、真剣に対象と向き合うことにより集中力が育成されている。そしてこのことが制作意欲につながっているのである。学力を向上させるためには、学ぼうとする意欲がなければならない。その力は集中力から生まれる。それを美術教育は育成することができるのである。 2 大作への挑戦 本校のホールに展示してある作品を見た人は、「この作品は本当に高校生がつくったのですか」と一様に驚く。見入ったまま動こうとしない人もいる。これは、作品に観る人を引きつける力があるからだ。そういう作品を本校生はつくっている。高校生には素晴らしい能力とエネルギーがある。それを引き出し、質の高い作品へと結びつけることが、本校教育の大切な要素になっている。 「美術コース」の生徒は、3年生になると100号の油彩にチャレンジする。その大きなカンバスの前に初めて立ったとき、「こんな大画面に作品を描けるのだろうか」と誰もが尻込みする。それは生まれて初めて体験する高い壁のようなものである。これまでの人生で直面した最大の壁と感じる生徒もいるだろう。しかしその壁から逃げることなく、創造力を発揮し、持っている能力の全てを出して乗り越えて行くのである。この体験と成就感は生徒を大きく成長させる。そこで得られた自信は、これからの人生においても大きな財産となる。一人ひとりが持っている能力を引き出し、自信を与え、意欲を高めさせることは、教育でもっとも大切なことである。 「工芸コース」の生徒は、3年生で家具を制作する。家具は立体であり三次元の空間認識が求められる。平面作品より科学的な思考力がなければならないのである。そのためには作品制作の計画が明確でなければならない。家具は、デザイン、製図、木材加工、組み立て、仕上げと、作業に連続性があり、やり直しがきかない。しかも途中のミスは仕上げにも影響する。これは油彩などとは大きく違うところである。つまり家具を制作するためには、仕上がりはもちろんのこと、その制作過程まで的確に把握していなければならないということである。この制作をとおして、生徒は計画性の大切さを学ぶことになる。また、家具は生活をより楽しく快適で豊かにするものでもある。生活の一部としての機能や美しさを自覚することは、他の生徒との美意識の違い、生活様式などの違いを認識することにもつながなり、自分の個性の確立にもつながる。 本校での家具づくりは、一人でできるものではない。お互いに協力し合い、批評し合い、対話しながら制作していく。こうした制作過程から、他者を尊重する心が生まれる。カヌーの共同制作においては、それぞれが役割分担し、助け合うことによって、思いやりの心を学んでいる。工芸教育は豊かな心の育成に大きな役割を果たしているのである。 3 感動が生徒を成長させる 教育において大切なことは、いかにして子どもたちに感動を与えられるかということである。それは子どもたちの成長にとって必要不可欠なものであり、毎日の食事以上に大切なものかもしれない。いろいろな経験の中から多くの感動を体験してきた生徒と、感動をまったく体験してこなかった生徒では、人間としての圧倒的な差が生まれる。 人間として必要な「思いやりの心」や「より良く自分を変えていこうとする力」である。それを生徒に生み出すのは感動ではないだろうか。学校教育で部活動が盛んなのは、授業では得られない感動があるからである。自分自身の夢の実現に向けて努力することによって生まれる感動は、心の成長をうながし、その後の生き方にまで影響を与える。 今の日本は、「笑い」をつくり出すことにあくせくしている。テレビ番組はそのお手本のようなもので、ゴールデンタイムにお笑い番組が多数放映されている。確かに「笑い」は私たちの生活を楽しいものにしてくれる。しかし、それだけで人間は成長しない。何歳になろうとも求めているものは感動である。感動は人生を豊かで有意義なものにしてくれる。感動があってこそより良い自分を創造するすることができるのである。 芸術教育の素晴らしさは、その感動を体験することができることにある。悩みながら、粘り強く制作した作品が完成したときの喜びは、一生忘れられない思い出になる。主体的な努力から生まれた感動は、真の人間をつくり出すエネルギーとなる。「描く、つくる、対話する」という造形教育は、創造力を育成しながら、生徒一人ひとりの心を豊かにしているのである。 本校には中学校時代に不登校だった生徒も入学している。中にはほとんど登校していない生徒もいる。この生徒たちは、本校の3年間で見事に立ち直っている。これは美術・工芸教育によって、自分を発見し、自信を持ち、意欲的に活動できるようになったからである。「描くこと」「つくること」「対話すること」は、生徒の心を成長させるのである。 芸術とは自分を表現することである。作品は自分自身そのものであり、そこにはかけがえのない個性が存在する。つまり創造することは自分をつくることにつながっているのである。さらにいえば、創造することは夢をつくることでもある。これが芸術教育の素晴らしさである。 ■おわりに 新たに制定された教育基本法の前文には、「豊かな人間性と創造性を備えた人間の育成を期するとともに、伝統を継承し、新しい文化の創造を目指す教育を推進する。」とある。美術教育、工芸教育はまさにその中心的な役割を担う教科である。 外務省のホームページ「文化外交最前線第17号」の中で、近藤誠一氏(外務省国際貿易、経済担当大使)が、「現在米国では、芸術教育によって開発される創造的思考が、科学者や技術者に必要とされているものに通じるということで、芸術教育が見直されている」と書いている。 国際社会の中で生きるこれからの日本に求められるものは、創造力があり、豊かな心を持ち、意欲的に活動できる人材の育成である。その実現の主役をなすものが芸術教育であることを自覚したい。(平成19年10月19日)
by manabinomori
| 2008-09-09 06:17
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