カテゴリ:解説 フランシス・ベーコン( 13 )
141億円で落札
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昨日の夕刊(北海道新聞)は、フランシス・ベーコンの「ルシアン・フロイドの3習作」が、ニューヨークの競売で史上最高の141億円で落札されたと伝えています。さすがベーコンというほかありません。最大の関心は落札者が誰かということです。
by manabinomori | 2013-11-14 07:24 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
ベーコンの作品を発見
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ヴァチカン博物館でベーコンの作品を発見しました。構図、色彩、タッチからベーコンの作品と気づいたのですが、その表情はベーコンとしては異例です。
by manabinomori | 2013-09-02 04:12 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
愛の悪魔
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『愛の悪魔~フランシス・ベイコンの歪んだ肖像~』(ジョン・メイバリー監督/1999年)は、誰にでも推薦できる映画ではありません。ここでは、ベーコンとジョージ・ダイアーとの関係がベーコンの絵画を彷彿させる独特のタッチで描き出されています。画家と恋人、愛と憎悪、芸術と日常、栄光と挫折。それはベーコンならではの世界かも知れませんが、もしかすると私たちの心の中にも潜んでいるものなのかも知れません。
by manabinomori | 2013-07-23 10:17 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
イラストレーションでないもの
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フランシス・ベーコンは、絵画を「イラストレーション」と「イラストレーションでないもの」に分類している。前者は「現実をそのまま写し取ったもの」あるいは「物語を伝えるもの」とし、後者は「見る人の感性に働きかけるもの」「多様な現実を伝えるもの」としている。もちろんベーコンの絵画は後者である。それを実現した画家としてベラスケスとレンブラントを挙げているのは興味深い。
by manabinomori | 2013-07-16 08:07 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
座る人物像
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フランシス・ベーコン「座る人物像」(枢機卿)1955

「まだ若かった頃はニーチェをたくさん読みました。ニーチェの思想から自分がつくられ、長い間影響を受けていたことはあるかも知れません。」
「きっとフェミニストが聞いたら好ましく思わないでしょうが、もしかすると女性は男性よりもひどい闘争者で、男性よりよほど危険かも知れません。」
「ほとんどの人間は、人生成り行きに身を任せています。皆あてどなく漂っているのです。」
(フランシス・ベーコン展図録より)

ベーコンの生き方や絵画のヒントになる言葉だと思います。
by manabinomori | 2013-07-15 08:32 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
ジョン・エドワーズ
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ジョン・エドワーズはベーコンの遺産相続人に指名され、アトリエに残された大量の遺品を引き継ぐことになります。その彼を描いた「ジョン・エドワーズの肖像のための三習作」(1984)は、私が最も好きな作品の一つです。晩年のベーコンは、飾り気のない、素直で、美しい作品を描いています。それはエドワーズと出会うことができたからなのでしょう。
by manabinomori | 2013-07-07 15:54 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
自身
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フランシス・ベーコンが女性を描くことはまずない。彼にとっての女性とは母のような存在であって、それ以上でも以下でもない。『裸体』(1960年)は女性がソファの上に身をもたせかけている作品であるが、そこにエロティシズムはまったく感じられない。しかもこの絵は、裸体画としてはおよそあり得ない、モデルが描き手を威圧するかのような表情をしている。それは女性への嫌悪と解釈することも可能であろうが、むしろこれはベーコン自身を描いたと解釈するのが自然ではないだろうか。これがベーコンだとすると、この表情も納得できる。完璧な構図を求めるベーコンがそのバランスを崩してしまっているのはそのためではないだろうか。
by manabinomori | 2013-05-26 23:42 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
アトリエ
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考古学者まで動員して、ダブリンの市立ヒュー・レーン美術館に移されたフランシス・ベーコンのアトリエです。彼にとってのアトリエとは、誰の立ち入りも許さない聖なる場所であったのかも知れません。彼の頭脳のようであり、宇宙船の操縦席のようでもあったと思います。画家にとってアトリエとは、自分の体の一部のような存在なのでしょう。ベーコンは自分の絵を「ナメクジが粘液を残すように記憶の跡を留めるものであって欲しい」と考えていたようですが、まさにこのアトリエがそのものではないかと思います。ここに散乱している画材や資料はあまりにも興味深く、床に落ちている新聞や写真1枚までもが貴重に思えます。
(参考資料:芸術新潮)
by manabinomori | 2013-05-05 15:51 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(2)
ルシアン・フロイド
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いくらハイパーレアリズム(スーパーリアリズム)が写真を超えたといっても、それは所詮絵画の範疇であって、写真のリアリティには及ばない。画家が時として写真を使って描くのは、そこに利便性を求めるからである。写真があればいかなる時間でも集中して描くことができるからである。一方で、人物画においてそこにモデルがいることは、モデルとの心の触れあいによる刺激を受けることができる。それは写真では得ることができないものであり、創作意欲をかき立てることにつながる。風景であれば空気感や音までをも感じ取れるのである。フランシスコ・ベーコンはアトリエにモデルを座らせて描いていた時代もありましたが、1960年前後からはモデルを使うことを止め写真を使うようになります。

ベーコンが写真を使う理由は、ジョン・ディーキンという優れた写真家がいたこと、そしてモデルと対面することによる感情の揺れから逃避するためです。ベーコンの言葉を借りれば「モデルの奴隷とならない」ためでした。この時代になると、ベーコンはセザンヌがそうしたように人物の配置や構図に極端にこだわります。そこに一つの美学を見いだしたかのようです。『ある磔刑(たっけい)のための三習作』(1962年)や『磔刑図』(1965年)に至っては、もはやモデルという感情的な要素は作品の妨げであり、必要なフォルムを採取するための道具でしかないかのようです。

精神分析医のジークムント・フロイトを祖父に持つ画家ルシアン・フロイドとベーコンは、ある意味で対極にある画家とも言えますが、人を描くという点においては、あるいはそれが深く作者の内面に拘わるという点においては共通したものがあります。ベーコンがルシアンから刺激を受けていたことは間違いないでしょう。その彼を描いた『ルシアン・フロイドの肖像のための三習作』(1965年)は、それまでにないほど叙情的な作品になっています。つまりそこにはルシアンへの想いが感じられるのです。

3枚組の作品の中で、注目すべきは真ん中の作品です。感情を揺さぶるような筆遣いやカーマインやバーントシェンナ調の色彩は、ベーコンによってデフォルメされたフォルムに生命観を与えています。まさにそれはルシアンへの愛であり、その眼球がベーコンを向いていないことから、その想いが一方的であることを予感させます。1954年のヴェネツィア・ビエンナーレでは、イギリス代表としてベーコン、ルシアン、ベン・ニコルソンが選ばれました。ルシアンとの出会いは、ベーコンの作品をよりヒューマンなものに変化させる力となったように思います。その制作資料となったジョン・ディーキンによる写真「ルシアン・フロイドの写真」(1964年)も興味深い。
(参考文献 フランシス・ベーコン展図録 2013年)
by manabinomori | 2013-05-04 11:12 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)
ベーコン特集
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東京国立近代美術館で開催されている「フランシス・ベーコン展」は衝撃でした。そのため、売店で『図録』『美術手帳』『芸術新潮』を買ってしまったのですが、これがことのほか重くて、都内を歩くのが大変でした。『美術手帳』のベーコン特集は「アトリエという“密室”で起きた戦後最大の絵画的事件を徹底解明」、『芸術新潮』は「20世紀美術のカリスマ フランシス・ベーコンを解剖する」となっています。『美術手帳』の方が理論的、系統的にまとめていますが、『芸術新潮』のゲイの視点からの分析がおもしろく、本質に迫っているようにも思えます。久し振りに「美術手帳」を買いましたが、歳を取ったせいか文字が小さくて見づらい。
by manabinomori | 2013-04-05 08:34 | 解説 フランシス・ベーコン | Comments(0)