カテゴリ:ビートルズ 曲解説( 8 )
『アイ・アム・ザ・ウォルラス』(I Am the Walrus)解説
b0108779_12515901.jpg
ビートルズが1967年に発表した『アイ・アム・ザ・ウォルラス』は、これまで世に出た楽曲の中で最もナンセンス色が強い作品の一つである。ジョン・レノンは、1964年に『イン・ヒズ・オウン・ライト』、1965年に『ア・スパニアード・イン・ザ・ワークス』を出版している。「ルイス・キャロルとジェームズ・サーバー、そしてロナルド・サールが好きなんだ」と述べているように、それらの本は彼らの影響を受けながら独自のストーリーとイラストで構成されている。そのナンセンスを楽曲へと展開させていったのが、『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』や『ルーシー・イン・ ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ』、そして『アイ・アム・ザ・ウォルラス』である。

『イン・ヒズ・オウン・ライト』(日本名『絵本ジョン・レノンセンス』)を翻訳した片岡義男は、この本の日本語への翻訳は不可能だとしながら、「本書の原文でつかわれている言葉のひとつひとつどれもが、ジョン・レノンの舌のささやきや上下の唇の上で、あるいは口腔のどのあたりと正確に記することのできないさまざまな部分で、マシュマロのように水飴のように煙のように、気ままに存分に、もてあそばれ変形されている」と解説している。このことは『アイ・アム・ザ・ウォルラス』についてもいえる。これまで様々な翻訳が出ているが、そのニュアンスが微妙に違うのはそのためである。そもそも日本語では表現できない言語の壁がそこにはあるのだ。

ジョン・レノンにとって『ヘルプ』がロックンロール・アイドルとしての最後の楽曲であるのなら、サイケデリック・アーティストとしての最後の楽曲が『アイ・アム・ザ・ウォルラス』である。ウォルラスとはルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の「セイウチと大工」からとられたものであり、権力への批判、ハレ・クリシュナへの失望、評論家への皮肉などがジョンならではの言葉で綴られている。当時のビートルズは、イギリス代表として「アワ・ワールド」の世界中継で『愛こそはすべて』を披露するなど、文化、経済、政治にまで影響を与える存在になっていた。その中でジョンは批評家とのキャッチボールを楽しむかのように『アイ・アム・ザ・ウォルラス』を発表したのである。この楽曲は彼らに向けたゲームであり、その最後にあるフレーズ「ああ エドガー・アラン・ボーについてのくだらない議論を始めちゃったな」は、彼らをあざ笑うかのようでもある。

フラワームーブメントが全盛であった時代において、その象徴ともいえるビートルズの存在は際立っていた。それ故に彼らの活動に神経を尖らせる傾向は強まっていた。イギリスのBBCはドラッグを意識させるとして、アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に収録されていた『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』を放送禁止にした。そして同様にシングル『ハロー・グッドバイ』のB面であったこの『アイ・アム・ザ・ウォルラス』も放送禁止になった。ジョンにしてみると、芸術性に優れた作品がB面であり、しかも放送禁止というのは許し難いことであったに違いない。しかし奇妙なことに、この曲は放送禁止になったことによって輝きを増すことになる。

『アイ・アム・ザ・ウォルラス』のサウンドは極めて斬新だ。『ビートルズ・レコーディング・セッション』の著者であるマーク・ルウィソーンが、「ビートルズのリミックス・セッションといえども、これほど風変わりで創意に富んだものはほかにない」と指摘しているように、この楽曲制作は最先端のスタジオ技術を駆使した音楽の実験室そのものであった。たまたまラジオで流れていたシェークスピアの『リア王』の朗読「ああ、ここで死んでしまうのか」を挿入することになったが、そのアイディアについて『ビートルズ』の著者であるマーク・ハッガードは、「ジョンの行き当たりばったりの仕事は、即興的な気まぐれかもしれないが、芸術として見れば革新的だった」と、キュビズムのパピエコレを例にあげながら記している。また、その意図をくみ取りながらスコアを書いたプロデューサーのジョージ・マーチンは、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス、クラリネット、ホルンなどによって、ジョンのボーカルを際立たせながらその空間を魔法のように埋めている。印象的な「Ho-ho-ho,hee-hee-hee,ha-ha-ha」やラジオのチューニング音など、これまでにない音のコラージュがちりばめられている。この革新的で完成度の高いサウンドは多くのアーチストやプロデューサーに影響を与えることになった。

『アイ・アム・ザ・ウォルラス』は何度聞いても飽きない。そして聴く時間や場所によって表情が変わる。これは『イエスタデイ』のようにみんなで歌える曲ではないし、『シー・ラヴズ・ユー』のようにダンスホールで踊れる曲でもない。敢えていうのなら、エンターティメントの対極にある楽曲だ。ビートルズが時代の申し子でいられたのは、単なるヒット曲を歌うバンドではなかったからである。「100年経ってもまだ楽しめる」とジョンが自負しているように、この楽曲は時間を超えて輝き続ける傑作である。

<参考文献>
『絵本ジョン・レノンセンス』(水晶文社1975)
 著者 ジョン・レノン 訳者 片岡義男、加藤直
『ビートルズ』(角川春樹事務所1997)
 著者 マーク・ハッガード 訳者 湯川れい子
『ビートルズ・レコーディング・セッション』(シンコーミュージック1998)
 著者 マーク・ルウィソーン 訳者 内田久美子
by manabinomori | 2015-07-13 12:52 | ビートルズ 曲解説 | Comments(0)
アイ・アム・ザ・ウォルラス(I Am the Walrus) 翻訳
b0108779_08555548.jpg
アイ・アム・ザ・ウォルラス
I Am the Walrus

オレはアイツと同じ
アンタもアイツと同じ
そしてアンタはオレと同じ
つまりオレたちはみんな一緒ってことさ

奴らは銃を向けられたブタのように
走りながら逃げ回る
泣けてくるね まったく

コーンフレイクの上に座って
迎えの車が来るのを待っている

社名がプリントされたTシャツで
愚かな火曜日を過ごす
おい お前はとんでもないクソガキだな
顔がどんどん伸びてるぜ

知ってるか 
オレはタマゴ男だ 奴らもタマゴ男だ
そうさ オレはセイウチだ
goo goo g'joob

そこに警察官がいる
可愛い女性警察官もいる

奴らはルーシーのように空を飛び
走り回っているだけじゃないか
泣けてくるね まったく 泣けてくるよ

黄色のカスタードがクリームが
死んだ犬の目からしたたり落ちている

気むずかしくて口うるさい女
エロチックな尼さん
ああ なんてお行儀の悪い娘なんだ
パンツを降ろしちまうなんて

知ってるか 
オレはタマゴ男だ 奴らもタマゴ男だ
そうさ オレはセイウチだ
goo goo g'joob

イングリッシュ・ガーデンで日の出を待っている
太陽が昇らなくても
雨の中にいるだけで肌は焼けていく

知ってるか
オレはタマゴ男だ 奴らもタマゴ男だ
そうさ オレはセイウチだ
goo goo g'joob 
goo goo g'joob

偏執狂のヘビースモーカーが
ジョーカーに笑われてる ははは

奴らはブタ小屋にいるブタのように笑いながら
悪意に満ちたことを考えている
泣けてくるね まったく

セニョリーナ・ビルチャードがエッフェル塔に登ってる
ペンギンの園児がハレ・クリシュナを歌ってる
ああ エドガー・アラン・ボーについての
くだらない議論を始めちゃったな

知ってるか 
オレはタマゴ男だ 奴らもタマゴ男だ
そうさ オレはセイウチだ
goo goo g'joob
g'goo goo g’joob

(石塚耕一訳)

ビートルズの曲の中で、いや、歴史上の曲の中で最も難解でナンセンスな言葉で構成されている『アイ・アム・ザ・ウォルラス』(I Am the Walrus)の翻訳にチャレンジしてみました。この曲は、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』の「セイウチと大工」からヒントを得たと言われています。忠実に翻訳するというよりは、ジョンになりきったつもりで、イメージを先行させています。英語ならではの言葉遊びは無視しています。この曲は、歌詞同様にメロディやサウンドにも遊び心がつまっていて、ジョン・レノンだからこそできた時代を象徴する傑作と言えます。また、ジョンの要望に応えた、ジョージ・マーチンによるストリングスのアレンジや効果音は今でも新鮮です。この歌詞と、曲についての詳しい解説は、石塚耕一展『アイ・アム・ザ・ウォルラス』のチラシの中に掲載します。

by manabinomori | 2015-07-04 22:13 | ビートルズ 曲解説 | Comments(2)
Beatles - Eleanor Rigby


Eleanor Rigby(エリナー・リグビー)
 
『リボルバー』に収録されたこの曲は
“ah look at all the lonely people"
(ああ、あの寂しげな人たちをみてごらん)
というコーラスからはじまる。
この印象的なイントロは、
アイドルだったビートルズのイメージを一新させるものである。
弦楽八重奏のバックも
『イエスタディ』よりはるかに刺激的で、
ポールのボーカルに負けないぐらい
力強く変化に富んだ演奏を聴かせる。
 
『エリナー・リグビー』は、
クラシック的要素を取り入れた斬新なメロディと、
ジョージ・マーチンのスコアによる
弦楽八重奏の演奏によって、
驚くほどリリカルで美しい作品に仕上がっている。
この曲のテーマは
「世代の断絶」と「同情」であり、
それまでにないモチーフを描くことによって、
ビートルズは新しいポップ・ミュージックのあり方を
全世界に示したといえるだろう。
『エリナー・リグビー』によって、
グラミー賞を受賞したのは
ごく当然のことと思われる。 
 
この曲は、
ジョンが歌詞を手伝っているとはいえ
基本的にポールの作品である。
ポールは当時ピアノを習おうとしていたらしく、
クラシックに強い関心を持っていた。
恋人のジェーン・アッシャー家の地下室で
ピアノを使って作曲したのだ。

それまでのポールは
ギターのコードを使いながら作曲していたが、
ピアノを使うことによって、
ポップスによくある基本的なコード展開にとらわれない
自由奔放なメロディを生み出した。
それはバロック音楽などに通じる
クラシックを意識した斬新なものである。
 
試しに、
ギターを弾きながら
このメロディにコードをあてはめようとすると
「ここのコードはどうなってんだ?」と困惑する。
そういう複雑さがここにはある。
 
ポールはどちらかというと
ジョンよりメロディに対してこだわりが強い。
『エリナー・リグビー』では
ポールならではの天性の才能が開花している。
ピアノの鍵盤を自由に叩くことによって、
予期せぬメロディが生まれ
それがポールのすぐれた感性の中で
消化されていったのだろう。

この時期のポールは
作曲することが楽しくて仕方がないと思わせるほど
創作意欲に満ち溢れている。
それはまるで、
印象派の画家ルノアールが
色彩の美しさをとことん追求した作業と似ている。
 
 
個人的には、
『エリナー・リグビー』は『イエスタディ』より
成度が高いと思う。
そもそも『イエスタディ』は
ビートルズというより
ポールのソロ作品であり、
ジョン、ジョージ、リンゴは参加していない。
ジョンにいわせると
「ビートルズとは関係ない曲さ」となってしまう。
しかし『エリナー・リグビー』には、
ビートルズらしい創造力が感じられる。
コーラスが入ることによって
グループとしての対面も保っている。
 
 
ここで触れておかなければならないのは、
ジョージ・マーチンによる弦楽八重奏のバックだ。
バイオリン4本
ビオラ2本
チェロ2本による演奏は、
ポールのボーカルと見事なまでに調和している。
レコーディングにあたっては
弦のすぐそばにマイクをセッティングし、
それまでにない音の追求がなされている。
しかも弦楽器だけで4トラックを使用するなど、
当時としては画期的試みを行なっている。
ジョージ・マーチンが書いたスコアも素晴らしく、
それだけで作品として成り立ってしまうほどである。
マーチンの最高傑作でもある。
『アンソロジー』では
ボーカルなしのバージョンを聴くことができる。
 
 
『エリナー・リグビー』で
忘れてならないのが歌詞の存在だ。
エリナー・リグビーとマッケンジー神父という
孤独な老人たちの物語には、
「優しさ」や「世代の断絶」という
多くの人に共感を与えるテーマが潜んでいる。
リバプールの街を舞台にしながら
それらの物語を見事に描き出している。
“ah look at all the lonely people"。
という印象的なフレーズがそれである。

 
もしビートルズが、
ホップスやロックだけのグループであったならば、
これほど後世に影響を与える存在にはならなかったことだろう。
多くの大衆や評論家から指示された背景には、
それらを基盤としながらも
実験的な試みと他分野との融合を図ったからだ。
その意味でも
『エリナー・リグビー』の存在は特別なのである。 
 
 
『エリナー・リグビー』は
1999年に発表された『イエロー・サブマリン~サウンドトラック~』
にも収録されている。
ここでは、
ジョージ・マーチンによる擬似的なステレオ感を排除し、
マスター・トラックから
レコーディングされたままの
自然なステレオ感を導き出している。
オリジナル・バージョンとは
比較にならないほどリアルで奥行きや広がりがあり、
ポールのボーカルや弦の響きなど、
空気感まで再現されている。
まさに新作と呼べるような完成度だ。

これを一度聴いてしまうと
『1』に入っているオリジナル・バージョンを
聴く気にはなれない。
このリミックスとリマスターを担当したのは
アビイ・ロード・スタジオのエンジニア
ピーター・コビンだ。
ポールによれば「ストリングス・カルテットに囲まれているような、
まさに今自分が演奏の最中にいるような気分になる。」
ということだ。

ビートルズの初期の作品は、
不自然な擬似ステレオ作品が多く、
それらの作品をぜひ彼らの手によって
リアルに蘇らせて欲しい。

(2001年2月15日、メールマガジンにて配信したものです)
by manabinomori | 2011-05-17 21:14 | ビートルズ 曲解説 | Comments(0)
John Lennon - Mother


John Lennon - Mother / ジョン・レノン「母」

 お母さん
 ぼくはお母さんの子どもだったのに
 お母さんと感じたことは一度もなかった
 いつもお母さんと一緒にいたかったのに
 お母さんは相手にしてくれなかった
 だから言わなくちゃいけない
 さよならってね

 お父さん
 ぼくはお父さんを覚える前に
 お父さんに捨てられてしまった
 ほんとうはお父さんが必要だったのに
 お父さんは見向きもしてくれなかった
 だから言わなくちゃいけない
 さよならってね

 子どもたちよ
 ぼくのまねをしちゃいけない
 ぼくは歩けもしないのに
 走ろうとしてころんでしまった
 だから言わなくちゃいけない
 さよならってね

 お願い、お母さん行かないで
 お願い、お父さんもどって来て
 お願い、お母さん行かないで
 お願い、お父さんもどって来て

 ねぇ、お母さん行かないで
 ねぇ、お父さんもどって来て
 ねぇ、お母さん行かないで
 ねぇ、お父さんもどって来て

 お願い、行かないで
 お願い、もどって来て
 お願い、行かないで
 お願い、もどって来て

 ねぇ、お母さん
 ねぇ、お父さん
 ねぇ、お母さん
 ねぇ、お父さん

 (石塚耕一訳)


『マザー』をつくるにあたっては、
いくつかアイディアがあったのですが、
できあがったものを聞いてみると、
ピアノがすべてをやってくれていて、
あとは自分のマインドにまかせました。
私のレコードのバッキングは、
ほかのどのレコードのバッキングにも負けず劣らず、
複雑だと思います。
耳があれば、
その複雑さが聞き取れます。
ピアノでひとつの音をだすと、
そこにすべてのハーモニックがあるということは、
誰でも知っています。
どんなミュージシャンでも教えてくれます。
私は、こういうところまできてしまったのです。
このようなシンプルさ以外には、
何も必要ではありません。

ジョン・レノン(ビートルズ革命/片岡義男訳 1972年 草思社刊 )


『マザー』のイントロは、
不気味な鐘の音で始まる。
残念なことに、
『ミレニアム・エディション』では、
ノイズが取り除かれ、
まろやかな音になってしまったが、
曲のイントロとして、
これほど衝撃的な音は他に考えられないだろう。
テンポを落とした東洋の鐘が
4回鳴り終えた瞬間
「マザー」というジョンの叫び声が聞こえてくる。
それはまるで幻覚の世界から、
一挙に現実の世界にひきずりこまれるような錯覚を思わせる。
そのスリリングな驚きと感動は、
それ以前のロックでは体験することのできない
衝撃といえるだろう。
そればかりか
これまでにないほどの
激しくも美しいボーカルを聴くことができる。


この『マザー』でのジョンは、
『抱きしめたい』や『シー・ラブズ・ユー』を
ポールと楽しそうに歌っていたジョンではない。
また『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』や
『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド』で
超現実の世界を楽しんでいたジョンでもない。
そこにいるのは、
「お母さん、行かないで!」と
まるで子どものように叫んでいる
裸のジョン・レノンである。
この曲の衝撃は、
その後のロックの在り方を根底から変えることになった。


ジョンは、
両親の離婚によって
ミミおばさんに引き取られて育った。
したがって
自分を捨てた母親のジュリアに対して
複雑な思いがあったに違いない。
17歳になった頃、
ジョンとジュリアは
もう一度やり直そうとするが、
ジュリアが交通事故で死亡するという悲劇に見舞われる。
こうしてジョンは二度も母を失った。
言葉では表現できないほどの
苦痛を味わったことだろう。
そうした満たされない思いと、
誰にもうち明けることができない傷を抱えながら
ジョンはビートルズによって頂点に立った。
そして、
ヨーコとの出会いとビートルズの解散によって、
『マザー』にたどり着いたのである。
この曲によって、
ジョンは初めて重苦しい過去から解放されたのだ。


この曲でジョンは、
できるだけ客観的な立場に自分を置き
母親が他人であるかのように、
冷酷にそして厳しく批判する。
心の高ぶりは抑えられてはいるものの、
「さよなら」を告げる時には不安定さを隠しきれない。
同じように父親にも語りかける。
感情を少し揺らしながら、
冷淡に父親を遠ざけ
「さよなら」を告げる。
最後に子どもたちにも語りかける。
自分が正しくなかったこと告げ、
少し動揺しながら
「さよなら」を告げる。

ここで曲は大きな展開を見せる。
それまで客観的に批判していた母親と父親を
「ママ」「ダディ」と呼び、
ジョンは子どもにもどって
二人を求める。
それは、
悲しみであり
苦痛であり
怒りであり
絶望であったに違いない。
これこそが
ジョンを苦しめてきた就縛であり、
このことによって初めて
ジョンは解放される。

 ママ行かないで
 パパもどって来て

ジョンの悲痛な叫びは
フェードアウトするまで続けられる。
最後には
崩れてしまいそうになりながら絶叫して終わる。
それは
どんな映画やドラマでも描写することのできない
リアリティと強さを持っている。


それが事実であるが故に、
この曲に優るものは誰も創造することはできない。
『マザー』は、
ジョン・レノンだから到達することができた
類い希な世界である。

この曲を
単にヒットチャートやセールスで評価する人がいるとしたら
それは大きな間違いである。
なぜなら
この曲はヒットチャートとは
対極の位置に存在している曲だからだ。
もし大衆を意識し
ヒットを狙うのであれば、
極上のバラード『ラヴ』を選択すればよい。
でもそれはジョンの本意ではない。


『ミレニアム・エディション』のライナー・ノートに
この曲について触れたくだりがある。

全米チャートでは43位(ビルボード)と
意外に振るわなかった。

こういう文章に出会うたびに
悲しい気持ちになる。
これを書いた人は
本当にこの曲の意味を理解しているのだろうか。
『マザー』は、
ヒット・チャートを賑わせるようなラヴソングではないし、
ダンスホールで流れるようなロックンロールでもない。
もちろん
大勢で口ずさむようなハッピーソングでもないし、
街角で流れるイージーリスニングでもない。
これはまさに詩人が
自己を赤裸々に告白している曲なのだ。
あまりにも痛々しい曲のため、
あるいは狂ってるということで、
全米のいたる所で放送禁止になった。
ポップのひとかけらも存在しない
とてつもなく暗くて重い曲であり、
エンディングにいたっては
恐怖さえ感じられるほどである。
したがって、
ヒットしないのはあたり前で、
それを「意外と振るわなかった」などと安易に書かれると
一体この評論家は何を研究してきたのかと
腹立たしい気持ちになってしまう。
このような誤解が、
一部のビートルズ評論家にみられるのはいただけない。
ましてそれが『ミレニアム・エディション』の
曲の解説を担当しているというのだから
やり切れない気持ちで一杯だ。
この場合はむしろ
「43位まで上昇したのは驚くべきことである」
と書くべきだろう。

さて
横道にそれてしまったが、
冒頭に掲載したジョンの言葉にもどろう。

 このようなシンプルさ以外には、
 何も必要ではありません。

ジョンはそのサウンドについての自信を語っている。
でもその一方で、
ポールやジョージ抜きで
サウンドを構築させる難しさも語っている。
ジョンはポールのように器用なミュージシャンではない。
ピアノの演奏について言えば、
我流そのものである。
ヨーコが『イマジン』の演奏を
ニッキー・ホプキンスにやらせようとしたのは有名な話である。
しかし優れた演奏というのは
テクニックだけではない。
心に響く演奏こそが大切なのである。
ジョンにはそれができる才能があった。


この『マザー』は、
それまでビートルズが試みてきた
クリエイティブなサウンド作りを拒否するかのように
最小のユニットで演奏されている。
ドラムがリンゴ・スター
ベースがクラウス・フォアマン
ピアノとボーカルがジョン・レノンという構成である。

この曲では、
リンゴのドラムはシンプルである。
単調なビートを
無機質にひたすら刻み続ける。
だがそのことによって、
ボーカルとベースを浮かび上がらせることに成功している。
リンゴは
いかにもリンゴらしく脇役に徹しているのだ。

ベースはぎこちない。
もともとクラウスのベースは上手いとは言えない。
ジョンがベースで苦労したと言っているように、
そのアレンジについては、
ジョンとフィル・スペクターのアドバイスにより
試行錯誤しながら生み出されたものであろう。
でもその不安定さがこの曲にマッチしている。
せっかちなジョンのことであるから、
クラウスが練習する時間さえ与えていないのかも知れない。
もしもの話だが、
ポールがベースを弾いていたなら、
どのようなサウンドになっていたのか興味深い。
とはいうものの
ベースのメロディが、
この曲にアクセントを与え
重要な役割を果たしているのは事実である。

ピアノはジョンだが、
そのピアノの音が
イントロで使われた鐘の音を思い出させる。
これは効果的である。
シンプルにコードを刻むだけの演奏だが、
リバーブがかかったような
奥行きあるハーモニーが
曲に力強さを与えている。
『レノン・アンソロジー』にある
ギター・バージョンと聴きくらべてみると
そのことが明白になる。
つまりこの曲の基本をなしているのは
ジョンの個性的なピアノ演奏にあるということである。
それらをバックにしながら
ジョンは
感情の起伏に富んだ
素晴らしいボーカルを聴かせる。

『マザー』は、
いままでにないシンプルな演奏であるが、
サウンドそのものは、
よく計算されていて、
曲のテーマを見事に演出している。
ジョンが言うように、
これ以上他の楽器を使う必要性はないだろう。
不思議なことに、
この曲には古さが感じられない。
そこに普遍性があるのだろう。


ところで
この『マザー』は、
ジョン以外の人が歌うことを拒否してしまうほど
パーソナルな曲といえる。
たとえ世界一のボーカリストを起用したとしても
オリジナルを超えることはできないだろう。
なぜなら、
この曲はジョンの体の一部といってもいいぐらいに
ジョンそのものであるから。

(2001年5月9日、メールマガジンにて配信したものを
一部訂正して掲載しました。当時の読者数は917名)
by manabinomori | 2011-02-13 14:27 | ビートルズ 曲解説 | Comments(2)
ビートルズ/ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー
b0108779_21344236.jpg
Beatles/STRAWBERRY FIELDS FOREVER

 テープの逆回転や変速、珍しい楽器の使用など、
 ビートルズが過去にレコーディング・スタジオで学んだ
 ありとあらゆることがこの一曲に集約されています。
 当時も今も、ポップ史上屈指の名曲の一つです。

これは『ビートルズ・レコーディング・セッション』
の著者マーク・ルウィソーンの言葉です。

『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』の出現により、
ポップスは初めて文学と同じように芸術の域に達しました。
もっといえば、ピカソの「ゲル二カ」と同等かそれ以上の仕事を
ビートルズはやってのけたことになります。

私は深夜のラジオ番組で初めてこの曲を聴きました。
不思議なイントロに不意を打たれました。
――なんだろう、この曲は…。
まるで大きな映画館に一人でいるかのような錯覚を覚えました。
曲がエンディングに向かうと音楽が騒音のようになり、
終わったかと思うと再び激しく迫ってきます…。

今まで経験したことのない不思議な感動を覚えました。
いや、それは感動というより恐怖に近いものでした。
その夜は、なかなか眠ることができませんでした。

 ストロベリー・フィールドは、
 ジョンの家の向かいにある落ち葉がたくさん落ちているグラウンドで、
 夏祭りが開かれる孤児院だ。
 ジョンは庭のようなところでいつも遊んでいて、
 そこはジョンにとっては子供時代の魔法の場所だったんだ。
 ぼくらはそれを幻覚的な夢のようなものに置き換え、
 みんなの子供時代の魔法の場所にしたのさ。

『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』について
ポール・マッカートニーはそう語っています。

ジョンがこの曲を書いたのは、
1966年の秋に映画『How I Won the War』の撮影のため
南スペインに滞在していた時のことです。
公演活動を止めたビートルズにとって、
いや、ジョンにとって、
これからの人生をどう生きたらいいのか、
これからどのような活動を続けていったらいいのか、
その課題に突きあたっていたのです。
そこでジョンが行き着いたのが
ビートル・ジョンではなく
人間ジョン・レノンでありたいということだったのです。

この時を境にしてジョンは髪型を変え眼鏡をかけます。
それまでのアイドル・ジョンからの決別を図ったのです。
しかし、ジョンは何をしていいのか、
自分はどう進むべきか迷い続けていました。
その迷いの中から、子供時代の自分にもどって
音楽活動に取り組んでみようとしました。
それが『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』だったのです。

詩には遊びや飾りが感じられ、
不確かで鏡の中に住んでいるジョンがいます。
自分を様々な色で着色してしまおうとするジョンがいます。
その幻想的で独自の世界を描写することによって、
ポップスの歴史が塗り変わったのです。

『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』には
それまでの音楽にはない三つ要素が存在します。

一つは、
当時開発されたばかりのメロトロンという
シンセサイザーのような楽器を初めて使用したということです。
イントロでメロトロンを弾いているのはポールで、
メロトロン独特の音色とふわっとしたリバーブ感が、
次にくる「Let me take you down」というボーカルを
くっきり浮かび上がらせます。
そしてこの印象的なイントロによって、
聴くものを一気に幻想的な世界に誘いこみます。

ビートルズは時には楽器とも呼べないものまで駆使し
レコーディングに使用していましたが、
メロトロンについては、
新しい物好きのジョンが最初に製造された物を入手しています。
『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』には
ポップス、ロック、クラシックなどで使用される楽器ばかりか、
テープの逆回転によるサウンド・コラージュなど
ありとあらゆる音がつめこまれています。
そのサイケデリックなサウンドは
多くのミュージシャンに衝撃を与えました。

二つ目は、
4トラックのテープレコーダーを駆使し、
かつてない複雑なオーバーダビングがなされたということです。
今では考えられないことですが、
当時のレコーディングは4トラックで行なわれていました。
そこにボーカルや楽器などの様々な音を詰め込みエフェクトをかけるわけです。
ビートルズによって多重録音という方法が開発されたのです。
つまりビートルズの歴史はレコーディングの歴史でもあったということです。
これらの作業にビートルズは多くの時間を費やしました。

ところが完成したものにジョンは納得せず、
ビートルズが演奏したヴァージョンと、
プロデューサーのジョージ・マーチンの管弦楽ヴァージョンを
つなぎ合わせて一つにまとめるよう要求します。
キーもテンポも違う二つのトラックを
一つにまとめることなど当時は不可能な話です。
ジョージ・マーチンは「無理だ」と答えます。
しかしジョンは「いや、ジョージ、君ならできるよ」と譲りません。
こうしてアビーロード・スタジオでは、
それまで経験したことのない実験が始まりました。
それはまさに月に行くアポロ計画のようなものです。

そして奇跡は起きたのです。
最初のヴァージョンの速度を上げ、
もう一つのヴァージョンの速度を下げれば
2曲はうまくつながることをジョージ・マーチンは発見したのです。
こうしてジョンの意図したサウンドに仕上がったのです。
それを成しえたのは、
ジョージ・マーチンとそのスタッフの努力に他なりません。
ちなみに二つのヴァージョンがつなぎあわせられているのは、
スタートからちょうど60秒のところです。

三つ目は、
この曲がそれまでの多くの曲と異なり
おとぎ話のような幻想的な詩で構成されているということです。
よくいわれるように『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』は
ルイス・キャロル、エドワード・リアなどの文学と関連づけられます。
それは以前のポップスでは考えられないことです。
つまりポップスをそれまでの単なるラブソングから、
芸術作品として評価されるきっかけをつくったのです。
この圧倒的な衝撃が、次の『サージェント…』をも導き出したのです。
新たな可能性を示した歴史的な作品なのです。

ジョンはこの曲で
聴き手との間に言葉のやりとりを行なっています。
それがドラッグと関連づけられたり
ポール死亡説をつくり出すなど、
一つの社会的現象を生み出すきっかけにもなりました。

注目すべきは、
この曲をカバーしているのが
トッド・ラングレンやピーター・ガブリエルだということです。
『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』は
間違いなく当時のカリスマ的な存在でした。
1989年10月26日、リバプールでジョン追悼コンサートが行われました。
そこで、ポールはこの曲を歌いました。
かなり感傷的なボーカルでしたが、
そのこともまたこの曲の重要さを物語っています。

一方で
『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』の登場は、
ジョンとポールの創作活動の向かう方向が一つでないことも示しました。
ポールはこの曲に触発されて『ペニーレイン』という名曲を書きました。
レノン/マッカートニーというよりレノン/マーチンといった方がいい作品です。

『ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー』は、
20世紀の音楽を変える起点となったのです。

(2007/1/24)
by manabinomori | 2009-09-04 21:35 | ビートルズ 曲解説 | Comments(2)
ビートルズ/エリナー・リグビー
b0108779_1493719.jpg
Beatles/ELENOR RIGBY

『リボルバー』に収録されたこの曲は
“ah look at all the lonely people"
(ああ、あの寂しげな人たちをみてごらん)
というコーラスからはじまります。

この印象的なイントロは、
アイドルだったビートルズのイメージを
一新させるようなインパクトを感じさせます。
弦楽八重奏のバックも『イエスタディ』よりはるかに刺激的で、
ポールのボーカルに負けないぐらい力強く変化に富んだ演奏を聴かせます。

『エリナー・リグビー』は、
クラシック的要素を取り入れた斬新なメロディと、
ジョージ・マーチンのスコアによる弦楽八重奏によって、
これ以上ないほどリリカルで美しい作品に仕上がっています。

この曲のテーマは「世代の断絶」と「同情」です。
それまでにないモチーフを描くことによって、
新しいポップ・ミュージックのあり方を示したともいえます。

『エリナー・リグビー』は、
ジョンがポイントとなる歌詞を書いていますが基本的にはポールの作品です。
当時ピアノを習おうとしていたポールは、
クラシックに強い関心を持ち、恋人のジェーン・アッシャー家の地下室で
ピアノを使って作曲したといわれています。

それまでのポールはギターのコードを使いながら作曲していましたが、
ピアノを使うことによってポップスによくある基本的なコード展開にとらわれない
自由奔放なメロディをつくりだすことに成功しています。
それはバロック音楽などに通じる斬新なものです。

ギターを弾きながらこのメロディにコードをあてはめようとすると
「ここのコードはどうなってんだ?」と、困惑してしまいます。
そういう複雑さがこの曲にはあります。

ポールはどちらかというと
ジョンよりメロディに対してこだわりが強いのです。
ピアノの鍵盤から予期せぬメロディが生まれ
それがポールのすぐれた感性の中でみごとに消化されていったのでしょう。

この時期のポールは
作曲することが楽しくてしょうがないと感じるほど創作意欲に満ちています。
まるで印象派の画家ルノアールが
色彩の美しさをとことん追求した作業と似ています。

個人的には
『エリナー・リグビー』は
『イエスタディ』より完成度が高い作品だと思います。
そもそも『イエスタディ』は
ビートルズというよりポールのソロ作品です。
ジョンにいわせると「ビートルズには関係ない曲」ということになります。

しかし『エリナー・リグビー』は
ビートルズらしい時代を切り開こうとする様々な試みが感じられます。
ビートルズのコーラスが効果的に入ることによって
グループとしての存在感もあります。

ここで触れておかなければならないのは、
ジョージ・マーチンによる弦楽八重奏です。
バイオリン4本、ビオラ2本、チェロ2本による演奏は
魅力的なメロディをさらに際立たせています。

レコーディングにあたっては、弦のすぐそばにマイクをセッティングし、
それまでにない音の追求がなされています。
しかも弦楽器だけで4トラックを使用するなど、
当時としては画期的試みを行なっているのです。

ジョージ・マーチンが書いたスコアも素晴らしく、
それだけで作品として通用すると思います。
ジョージ・マーチンの最高傑作ともいえるでしょう。

『エリナー・リグビー』で忘れてならないのが歌詞の存在感です。
エリナー・リグビーとマッケンジー神父という
孤独な老人たちの物語には、
「優しさ」や「世代の断絶」という多くの人々に共感を与えるテーマが潜んでいます。

リバプールの街を舞台にしながら印象的なフレーズ
“ah look at all the lonely people"
によって聴くものをその物語に引き入れます。

この曲によってビートルズは
ヒットチャートをにぎわすだけの存在ではなくなったのです。
もしビートルズが単なるホップスやロックだけのグループであったならば、
これほど後世に影響を与える存在にはならなかったでしょう。

ポップスやロックを基盤としながら
実験的な試みやクラシックなどの他の分野との融合を図り、
他にはない創造的な活動がそこにはあったのです。
ビートルズの偉大さはそこにあります。
まさに音楽の実験室だったといっていいでしょう。

(2007/1/23)
by manabinomori | 2009-08-28 01:56 | ビートルズ 曲解説 | Comments(0)
ビートルズ/ビコーズ
b0108779_138456.jpg
Beatles/BECAUSE

この曲は、ベートーベンの『月光』からヒントを得てつくられたジョンの曲です。
アルバム『アビーロード』の後半メドレーのプロローグ的な存在であり、
シンプルなフレーズとメロディで構成されています。
個人的には『アビーロード』でもっとも好きな曲の一つです。

 空が青いので
 ぼくは泣けてくる
 なぜって
 空が青いからだよ (訳/石塚耕一)

部屋の明かりを消して、
オリジナルを集中して聴くと涙が出そうになります。
印象に残るフレーズと
リリカルで陰影のあるメロディによって
パステル画のように美しい世界を描き出します。

ギターによるアルペジオ演奏と奥行きあるサウンド。
ジョン、ポール、ジョージによる優しくも美しいコーラス。
それらが繊細なハーモニーを生み出し、
芸術の域にまで到達させているように思います。
もしかすると、
世界でもっとも美しい芸術作品のひとつかもしれません。

 Love is old,love is new
 Love is all,love is you

というフレーズは、
神から捧げられたフレーズのようにさえ感じられます。
素敵な恋愛をしていると、
空や海が不思議なくらい美しくみえることがあります。
その美しさがここにはあるような気がします。
当時のジョンの純粋な気持ちが感じられます。
この美しさはビートルズだからこそ表現することができた世界だと思います。

(2007/1/24 他のブログに掲載したものを再掲載)
by manabinomori | 2009-08-26 21:39 | ビートルズ 曲解説 | Comments(2)
クラシック・アルバムズ:メイキング・オブ・『ジョンの魂』
b0108779_21555249.jpg
ビートルズ関係のものが出ると何でも買ってしまう私ですが、今回のDVDソフト 「クラシック・アルバムズ:メイキング・オブ・『ジョンの魂』(JOHN LENNON/PLASTIC ONO BAND)」は特別です。先日札幌に帰ると、すぐに購入してしまいました。
b0108779_2156493.jpg
ジョン・レノンの『ジョンの魂』は、私の人生において、いやロックの歴史において、もっとも重要なアルバムです。私は以前メールマガジンで、このアルバムについて解説したことがありますので、その一部を思い切って今夜は紹介しましょう。


ジョンの魂

20世紀において、もっとも重要なアルバムを三つあげるとするなら、
ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』
ピンク・フロイドの『狂気』、そしてジョン・レノンの『ジョンの魂』をあげたい。
なぜならこれらのアルバムは、
どれもがコンセプト・アルバムとして明確なテーマとサウンドを構築し、
その時代の中で確かな創造性を示していたからである。

これらのアルバムがロックやポップスに与えた影響の大きさには、
はかりしれないものがある。
中でも『ジョンの魂』は、
それまでの商業的な意識を払拭した芸術性の高いアルバムとして
その評価は年々高まるばかりである。
このアルバムの登場によって、
売れるアルバムがもっとも優れたアルバムであるという
“ビールボード的”な概念が根底から崩れることになった。

ぼくが初めて『マザー』を聴いたのは中学3年生のときである。
当時大ヒットしていたジョージ・ハリスンの『マイ・スウィート・ロード』や
アース・アンド・ファイヤーの『シーズン』とはまったくかけ離れた
異様な「鐘のサウンド」と「絶叫」が耳についた。
「この曲はビートルズのジョン・レノンの曲です!」
とDJが紹介しているのを聴いてぼくは自分の耳を疑った。
「この曲のどこがビートルズなんだ!」

ビートルズに対して抱いていたイメージと『マザー』があまりにもかけ離れすぎていたため、
ぼくはそのキャップを埋めることができなかった。
これが本当に『ヘルプ』や『抱きしめたい』を歌っていたビートルズの曲なんだろうか。
ジョージやポールは、解散してもビートルズらしい曲をつくっているのに、
どうしてジョンだけが狂ったようにお母さんのことを歌っているのだろうか。
ぼくにはまったく理解できなかった。
こんなに楽しくない、そして美しくない曲はビートルズじゃない。
どこかでぼくは拒否反応を示していた。


しかし高校生になり、
『ジョンの魂』の全曲を繰り返し聴くようになると、
このアルバムの持っている他にはないシンプルで鋭いサウンドと、
内面にまでどんどん迫ってくる素直なジョンのボーカルに
しだいに魅了されるようになっていった。

いつしかぼくはジョンに関心を抱くようになり、
映画『レット・イット・ビー』や雑誌『ミュージック・ライフ』の
ジョンの写真を食い入るように見るようになった。


さて、『ジョンの魂』と名付けられたこのアルバムは
ジョンが全ての飾りを取り去り、
裸になって自分自身をさらけだした恐ろしいまでに個人的なアルバムである。
まるで私小説のように自分自身を素直に見つめている。
最初と最後の曲は『母』でまとめられ、
アルバム全体がしっかりとしたコンセプトでまとめられている。
もしかすると、アルバムを『母』というタイトルにした方が
よりテーマが明確になっていたかも知れない。

ビートルズの『サージェント・ペパーズ』には、
創造的でサイケデリックな遊びがつまっている。
それはまさにシュール・レアリズム的な夢のおもちゃ箱である。
その架空のバンドの『サージェント・ペパーズ』に対して、
『ジョンの魂』は限りなく個人的で、シンプルな言葉と楽器で表現されている。
この二つのアルバムは、実は対をなしているのである。

=夢と現実=
=快楽と苦痛=
=スーパー・スターと個人=
=若さと老い=

『ジョンの魂』は、歳を取ってから聴く方がより理解できる。
今でも忘れることができないあのいまいましい12月8日に、
ぼくはこのアルバムを朝まで聴き続けた。
すり切れたレコードから、優しく、そして絶叫するジョンの声が、
行き場のない心の中でいつまでもこだましていた。



マザー

 『マザー』をつくるにあたっては、いくつかアイディアがあったのですが、
 できあがったものを聞いてみると、ピアノがすべてをやってくれていて、
 あとは自分のマインドにまかせました。
 私のレコードのバッキングは、
 ほかのどのレコードのバッキングにも負けず劣らず複雑だと思います。
 耳があれば、その複雑さが聞き取れます。
 ピアノでひとつの音をだすと、
 そこにすべてのハーモニックがあるということは誰でも知っています。
 どんなミュージシャンでも教えてくれます。
 私は、こういうところまできてしまったのです。
 このようなシンプルさ以外には何も必要ではありません。

 ジョン・レノン(ビートルズ革命/片岡義男訳 1972年 草思社刊 )


『マザー』のイントロは不気味な鐘の音で始まる。
残念なことに、『ミレニアム・エディション』では、
ノイズが取り除かれ、まろやかな音になってしまったが、
曲のイントロとして、これほど衝撃的な音は他に考えられないだろう。
テンポを落とした東洋の鐘が4回鳴り終えた瞬間、
「マザー」というジョンの叫び声が聞こえてくる。
それはまるで幻覚の世界から、
一挙に現実の世界にひきずりこまれるような錯覚を思わせる。
そのスリリングな驚きと感動は、それ以前のロックでは体験することのできない
衝撃である。
そればかりか、ここではどのロッカーも成し得なかった
激しくも美しいボーカルを聴くことができる。
この曲は、それまでのロックの概念を変えてしまうほど強い存在感を示している。

この『マザー』で感じとることができるジョンは、
『抱きしめたい』や『シー・ラブズ・ユー』をポールと楽しそうに歌っていたジョンではない。
また『ストロベリー・フィールズ・フォーエバー』や
『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンド』で、
ぼくたちを超現実の世界に導いていたジョンでもない。
そこには、「お母さん、行かないで!」と
まるで子どものように叫んでいる裸のジョンがいるだけだ。
この曲の衝撃と、ジョンの大きな変化にはただ驚くしかない。

ジョンは、
両親の離婚によって、ミミおばさんに引き取られて育った。
したがって、自分を捨てた母親のジュリアに対して複雑な思いがあったに違いない。
17歳になった頃、ジョンとジュリアはもう一度やり直そうとするが、
ジュリアが交通事故で死亡するという悲劇に見舞われる。
こうしてジョンは二度も母親を失った。
このことにより、ジョンは言葉では表現できないほどの苦痛を味わった。
そうした満たされない思いと、
誰にもうち明けることができない傷を抱えながら
ジョンはビートルズへの道を歩むことになる。
そして長い曲折をのりこえ『マザー』にたどり着いたのである。
この曲によって、ジョンは初めて重苦しい過去から解放されたといえるのだろう。

 お母さん
 ぼくはお母さんの子どもだったのに
 お母さんを感じたことは一度もなかった
 いつもお母さんと一緒にいたかったのに
 お母さんは相手にしてくれなかったね
 だから言わせてもらうよ
 さよならってね

 お父さん
 ぼくはお父さんを覚える前に
 お父さんに捨てられてしまった
 ほんとうはお父さんが必要だったのに
 お父さんは見向きもしてくれなかったね
 だから言わせてもらうよ
 さよならってね

 子どもたちよ
 ぼくのまねしちゃいけないよ
 ぼくは歩けもしないのに
 走ろうとしてころんでしまったんだ
 だから言わせてもらうよ
 さよならってね

 ねぇお母さん行かないで
 ねぇお父さんもどって来て
 ねぇお母さん行かないで
 ねぇお父さんもどって来て

 ねぇお願いだから行かないで
 ねぇお願いだからもどって来て
 ねぇお願いだから行かないで
 ねぇお願いだからもどって来て

 (石塚耕一訳)


この曲でジョンは、できるだけ客観的な立場に自分を置き<
母親が他人であるかのように冷酷にそして厳しく批判する。
心の高ぶりは抑えられているものの、
さよならを告げる時には不安定さを隠しきれない。
同じように父親にも語りかける。
感情を少し揺らしながら、冷淡に父親を遠ざけさよならを告げる。
そして子どもたちに語りかける。
自分が正しくなかったこと告げ、
少し動揺しながらさよならを告げる。

ここで曲は大きな展開を見せる。
それまで客観的に批判していた母親と父親を
ママ、ダディと呼び、
ジョンは子どもにもどって二人を求め続ける。
それは、悲しみであり、苦痛であり、怒りであり、絶望であったに違いない。
これこそがジョンを苦しめてきた就縛であり、
このことによって初めてジョンはそこから解放される。

 ママ行かないで
 パパもどって来て

ジョンの悲痛な叫びは
フェードアウトするまで続けられる。
最後には崩れてしまいそうになりながら絶叫して終わる。
それはどんな映画やドラマでも描写することのできない
リアリティと強さを持っている。


それが事実であるが故に、この曲に優るものを
創造することは難しい。
『マザー』は、ジョン・レノンだからこそ到達することができた世界である。
この曲を単にヒットチャートやセールスで評価する人がいるとしたら
それは大きな間違いである。
なぜならこの曲はヒットチャートとは対極の位置に存在しているからだ。
もし大衆を意識しヒットを狙うのであれば、
極上のバラード『ラヴ』を選択すればよい。
でもそれはジョンの本意ではない。

『ミレニアム・エディション』のライナー・ノートに
この曲について触れたくだりがある。

 全米チャートでは43位(ビルボード)と意外に振るわなかった。

こういう文章に出会うたびに悲しい気持ちになる。
これを書いた人は本当にこの曲の意味を理解しているのだろうか。
『マザー』は、ヒット・チャートを賑わせるようなラヴ・ソングではないし、
ダンスホールで流れるようなロックンロールでもない。
もちろん大勢で口ずさむようなハッピー・ソングでもないし、
街角で流れるイージー・リスニングでもない。
アメリカでは「狂ってる」という理由で放送禁止になった曲なのだ。
エンディングにいたっては恐怖さえ感じられるほどである。
したがって、ヒットしないのがあたり前で、
それを「意外と振るわなかった」などと安易に書かれると
いったいこの評論家は何を研究してきたのかと
腹立たしい気持ちになってしまう。
むしろ「43位まで上昇したのは驚くべきことである」
と書くべきだろう。
そういう評論の在り方を期待したい。

さて、横道にそれてしまったが、
冒頭に掲載したジョンの言葉にもどろう。

 このようなシンプルさ以外には、
 何も必要ではありません。

ジョンはそのサウンドについて自信を持って語っている。
でもその一方で、ポールやジョージ抜きでサウンドを創造する難しさも語っている。
ジョンはポールのように器用なミュージシャンではなく、
ピアノの演奏について言えば素人同然である。
ヨーコが『イマジン』の演奏をジョンではなく
ニッキー・ホプキンスにやらせようとしたのは有名な話である。
しかし優れた演奏というのはテクニックだけではない。
そこにハートがあれば、輝きを描き出すことが可能なのである。
ジョンにはそれができる才能があった。

この『マザー』は、
それまでビートルズが試みてきた
クリエイティブなサウンド作りを拒否するかのように
最小のユニットで演奏されている。

ドラムがリンゴ・スター
ベースがクラウス・フォアマン
ピアノとボーカルがジョン・レノンという構成である。

この曲では、リンゴのドラムがシンプルである。
単調なビートを無機質にひたすら刻み続ける。
だがそのことによって、ボーカルとベースを浮かび上がらせることに成功している。
リンゴはいかにもリンゴらしく脇役に徹している。

ベースはぎこちない。
もともとクラウスのベースは上手いとは言えないが、
スタジオで試行錯誤しながら急遽生み出したという感じを受ける。
せっかちなジョンのことであるから、
クラウスが練習する時間さえ与えていないかも知れない。

ピアノはジョンだが、
そのピアノの音がイントロで使われた鐘の音を思い出させる。
これは効果的である。
シンプルにコードを刻むだけの演奏だが、
リバーブがかかったような奥行きあるピアノのハーモニーが曲に力強さを与えている。
『レノン・アンソロジー』にあるギター・バージョンと聴きくらべてみると
そのことが明白になる。
つまりこの曲の基本をなしているのはジョンの個性的なピアノ演奏にあるということだ。
それらをバックにしながら
ジョンは感情の起伏に富んだ素晴らしいボーカルを聴かせる。


『マザー』は、いままでにないシンプルな演奏であるが、
サウンドそのものはよく計算されていて、曲のテーマを見事に演出している。
ジョンが言うように、これ以上他の楽器を使う必要性は感じられない。
不思議なことに、この曲はいつまでたっても古さが感じられない。
そういう普遍的なサウンドに仕上がっている。


ところで『マザー』を世界一のボーカリストが歌ったとしても
オリジナルを超えることはできないだろう。
なぜなら、この曲はジョンの体の一部といってもいいぐらいに
ジョンそのものであるからだ。

<2001年5月9日(水) 読者数917名>
b0108779_21565266.jpg
興味深かったのはボーナストラックにあるエンジニアのリチャード・ラッシュの解説です。
b0108779_2157240.jpg
クラウス・フォアマンは当時を思い出しベースを披露してくれます。
b0108779_21571212.jpg
ジョンの右奥がクラウスです。『インスタント・カーマ』はU2バージョンもいいですよ。
b0108779_21572265.jpg
やっぱりリンゴは素晴らしい。ジョンを知り尽くしている。

マニアには最高のDVDです。残念なのは例によってヨーコの関与があることです。明らかに彼女の指示による意図的な映像が入れられています。それが残念です。
by manabinomori | 2008-05-01 21:57 | ビートルズ 曲解説 | Comments(0)