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なんとかできました
  
Music by Koichi Ishizuka "Dream"

悪戦苦闘の末、Flash Playerを設置することができました。そもそも設置できないようにしてあるexciteブログに、裏技を駆使して無理矢理設置するのですから大変です。何度も画面から消えたりしていますので不安です。明日の朝まで残っていれば大丈夫でしょう…。この1週間は、このことに全力で取り組んできましたので、嬉しくて仕方がありません。Flash Playerは他のPlayerより美しいデザインで、Flashはインターネットでもっとも普及している配信方法です。YouTubeもFlashを使っています。今回テストとして掲載した曲は、以前も紹介させていただいた私のピアノ曲『夢』です。ピアノ演奏は野々垣真実さんです。とにかく今夜は疲れ果てました…。

さて、今日は指導主事の二次訪問でした。畠山先生の授業はよかったですね。その理科の授業とクロスカントリースキー部の練習風景は明日紹介します。また、ブログをより使いやすくするために、カテゴリを細分化しました。
by manabinomori | 2007-11-29 23:13 | オリジナルソング
これは何だろう?
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これは、スウェーデンのウラカーリン・ニルソンさんからいただいたものです。「はやく開けて食わせろ」と、セキセイインコの「ボン」がおねだりしています。
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開けてビックリ!これは何?まな板?ナイフらしきものもついている…。うーん…。KANEVAD(SWEDEN1962)のホームページを開いて調べてみましたがわかりません。もしかするとバターをパンに塗るものかもしれませんね…。誰か教えて下さい。
by manabinomori | 2007-11-09 09:16 | おと高 学校経営
私と音楽
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「年金セミナー」の講師を担当された三ツ井先生が、校長室で「先生は音楽の先生でしたよね」と私に質問されました。「いいえ、美術です」と答えるとびっくりされていました。同じようなことは何度も経験しています。穂別高校では地域の方を対象に絵画教室(開放講座)を開催しましたが、「音楽の先生なのに美術も教えられるのですね」とお褒めの言葉をただきました。穂別や札幌での教頭時代は、美術の授業を担当する機会がなく、周年行事などで音楽を発表したためそのようなイメージが定着したのだと思います。特に札幌での周年行事では、忘れることのできない素晴らしい経験をさせていただきました。その時の音源から一部を紹介します。実は三ツ井先生はその式典に参加されていました。

バイオリン曲「ときめき」(作曲:石塚耕一/式典でのライブ演奏、音質は最悪)

できれば、これまでに作曲したものから気に入った曲だけを選び、納得できる音として残したいというのが私の夢です。夏季休業はそのチャンスだったのですが、いつものように入り口段階で足踏みです。きっとこのまま退職を迎えることになると思います。上の画像は音楽製作ソフト「Cubase4」を使って、悪戦苦闘している図です。
by manabinomori | 2007-08-12 18:23 | Cubase
初めてのピアノ曲『夢』
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昨夜、生徒が夕食で寮にもどった合間を縫って、体育館の古いグランドピアノを使い、私にとって初めてのピアノ曲『夢』を録音しました。演奏してくださったのは、中学校の野々垣真実先生です。野々垣先生は7月で音威子府中学校の期限付教諭が終了します。したがって、このチャンスを逃すと、二度と演奏してもらうことができません。お忙しい中、ご無理をいって演奏していただきました。演奏は2回だけです。実質5分ぐらいの出来事でしたが、夢のような時間でした。「エリック・サティのように演奏して欲しい」それがかねてからお願いしていたことでしたが、そんなことをいうべきではなかったと後悔しました。なぜならそのピアノ演奏は、個性豊かで、美しく、強く心を揺さぶるものだったからです。中学校の卒業式での感動的なピアノ演奏を思い出しました。

興味のある方はお聴き下さい。→ 『夢』 ( ピアノ/野々垣真実 作曲/石塚耕一)

野々垣先生方によるピアノとフルートによるアンサンブル・コンサート「トワイライトコンサートinおさしま音楽の散歩道」が、8月21日(土)、エコミュージアムで行われます。
by manabinomori | 2007-07-20 01:15 | おと高&音威子府村
銀のしずく
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私は5年前にCDを製作するチャンスをいただいたことがあります。それは、北海道穂別高等学校創立50周年記念賛歌として作詞・作曲したものです。モチーフとなったのは、穂別高校の卒業生が残した「愛はかなしみとともに」という本に描かれた愛の物語です。2人の悲劇的な死を、2人が利用した富内駅を舞台に完成させました。式典では、生徒と教員が披露し、その後、穂別町がCDにして下さったのです。ボーカルは、当時の同僚SAJAKAです。かなりの時間をかけ、バックサウンドを完成させ、そこにボーカルとハーモニーを加えました。いま聴き直すと荒さが目立ちますが、興味のある方はお聴き下さい。 → 銀のしずく

苫小牧民報 2002.10.15
【穂別】卒業生2人の悲恋物語を記念賛歌に
 創立50周年を迎えた穂別高校が、純愛に生きて19歳の若さで事故死した2人の卒業生の物語と、宮沢賢治の理想をまちづくりに求める穂別町富内をモチーフにした記念賛歌を創作した。26日の50周年記念式典で生徒有志と教員が歌い、同窓生らに披露する。ひたむきな愛に生きた2人の心の詩が、33年の時を超えてよみがえった。
 記念賛歌は「銀のしずく」。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にちなんで銀河ステーションと地域の人が名づけ、まちづくりのシンボルにしている旧国鉄富内駅と、同校の3年生全員が共同で作った記念詩「虹の彼方に」、旧富内線の鉄道事故死した2人の悲運の恋愛をモチーフに、石塚耕一教頭が作詞、作曲した。友情と愛と穂別への賛歌だ。
 歌詞の軸になった卒業生は1969年に同校を卒業した男子生徒と女子生徒。この年8月、予備校と就職先から帰省した2人が、旧富内線の平取町振内駅付近での鉄道事故で急逝した。ひたむきに、純粋に、また若者らしく激しく愛情を燃やした2人の恋愛は、残された日記をもとに出版された「愛はかなしみとともに」(大和書房、70年刊)で世に明かにされた。石塚教頭が記念事業の作業の中でこの本の存在を知り、卒業生の悲しい愛の物語に深く心を打たれたのがきっかけだ。
 曲は、記念賛歌だけに、悲しげにならないよう心がけたという。さわやかでポップスの雰囲気を持つバラード風の曲。覚えやすく、親しみやすいメロディーにした。
 同校では、式典で公表するとともに、録音して自主製作のCDで後世に残す予定。「本、生徒の詩、富内の要素をつなげて一つの歌詞にした。2人のお話は、愛のエネルギーの強さにふるえ、涙した」と石塚教頭。50周年の節目に卒業生の清らかな愛の物語に再び思いをはせながら、穂別高校で青春期を生きることの意味を生徒たちに問い掛ける。
(苫小牧民報社提供)
by manabinomori | 2007-06-18 23:12 | 愛はかなしみとともに
シックスセンス展①~Window~
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シックスセンス展には2点の作品を出品しました。ともにコンピュータグラフィックスによるものですが、ことのほか印刷に手間取りました。あくまでも版画のような質感や色彩を出すことが目的でしたので、紙の選択やプリンターの設定は試行錯誤でした。

モチーフとなっているのは、自宅のドアについている窓です。それを撮影し加工するとともに、ヘッドフォンを撮影し埋め込みました。もちろんそれだけではありません。ビートルズに関する活字や音楽制作用のシーケンサーも加えています。つまりこの作品は私にとってもっとも身近なものを取りあげ、分解し、構成し直したものなのです。

私は青が好きです。地球上にある色で、青はもっともリリカルで心を揺さぶる色だと思います。空は地球がつくりだしたもっとも美しいアートです。その青に負けないものをつくりだすことはできないだろうかという思いで制作しました。
by manabinomori | 2007-03-11 11:24 | おと高&音威子府村
北見現代美術展
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2年生の杉本大幸君が、「北見現代美術展10(2006年)」のカタログを持ってきてくれました。実は杉本君の中学校時代の恩師が中村二二二先生(北見現代美術展出品/網走市)で、私が本校に赴任したことを知った中村先生から、渡して欲しいと預かったものでした。中学校を卒業してからも交流があるというのは素晴らしいことです。中村先生が私のことを覚えられていたこともありがたく思います。

「北見現代美術展」は、北見市の田丸忠さんと林弘尭さんが新しい美術の創造を掲げ設立を考えていたものでした。そこに北見市で頻繁に個展を開催していた私が加わり、さらに陶芸家の安藤瑛一さんが加わってできたものです。第1回展の準備を進めるにあたっては、世界に通用する企画展にしようと、カタログには趣旨を英訳し掲載するとともに、写真もプロ・カメラマンの我妻英信さん(第2回展から参加)に依頼し、まるでビートルズ?のようなポスターまで作りました。それだけの思いと努力によって生まれたのが「北見現代美術展」なのです。

当時、私はまだ20代で、ポップアート風の作品を描いたり、作曲したり、ビデオアートをつくっていました。しかし第3回展まで出品したところで転勤になり(なんと転勤先は杉本君の担任である手塚先生の母校)、その後は視界から「北見現代美術展」は消えていました。

そして突然第10回展のカタログが届いたのです。開いたとたん、昔のことが鮮やかに蘇りました。そして食い入るように作品を見つめました。なぜなら作品を見ればその作者を感じとることができるからです。みなさんとても元気そうで嬉しくなりました。よく見ると、その中には高大連携授業をしていただいた東海大学の荒井善則先生の作品もありました。

とても苦労した1982年の設立準備から今年で25年になります。その間「北見現代美術展」は、紆余曲折しながらも素晴らしい内容で第10回展を開催していました。継続は力なりといいますが、やはり地道な努力は素晴らしい結果をもたらすのです。みなさんのアートに対する強い姿勢と努力には敬服するしかありません。私は久しぶりに豊かな気持ちに浸りました。カタログを届けてくれた杉本君に感謝します。第1回展のポスターが見つかればここに掲載します。まさに4人はアイドルのようでした。(注:「4人はアイドル」はビートルズ主演の映画名)
by manabinomori | 2007-03-07 23:54 | おと高&音威子府村