メルメ・カション
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メルメ神父をインターネットで調べていくと、彼は宣教師ではありますが、むしろ外交官として幕府に仕えていたことが分かります。勝海舟や西郷隆盛からは「妖僧」「怪僧」と呼ばれていたようです。当時は国際結婚が認められていませんでしたが、日本女性のお梶と同棲していました。1864年には横浜仏語伝習所を開校させますが、1866年にはパリ宣教会を離脱しています。彼が生まれたフランスのレ・ブーシューはブザンソンの近くのようですが、Googleの地図では発見できませんでした。そのかわり『カション幕末を走る』(高杜一榮著)という本を発見しました。7月29日に文藝春秋から出版されたばかりです。私たちのために出版されたようなものですね。不思議でなりません。さて、その紹介には次のように書かれています。

幕末、開国間もない日本に宣教師として来日したメルメ・ド・カションは、布教とフランス語教授をしつつ、日本文化に魅せられていく。そんな折、料亭亭主・桑野清兵衛の姪お梶と出会い夫婦となる。カションは本国フランスのことはもとより日本のために、語学伝習所の開設、製鉄所の建設を幕閣とともに押し進めていく。世界の荒波に乗り出した幕末日本、その外交の裏側を描きつつ、お梶とカション、2人の愛と生き様を綴った異色作。

画像は、本日お借りした「函館カトリック元町教会150周年記念誌」に掲載されていたもので、メルメ神父が称名寺境内に建立した建物の建築伺書(1855年)です。最後にはカタカナで氏名を書いています。日本語をマスターしていたことがわかります。

もし仮に、メルメ神父が『夷酋列像』を持っていたとするなら、お梶(又はお梶の家族)に『イコリカヤニ』を譲ったということは考えられないだろうか。なぜなら、『イコリカヤニ』は他の像よりはるかに親しみやすい絵柄だったからです。お梶が「この絵大好き」と言っていたら、そのようなこともあり得たと思いますが…。
by manabinomori | 2010-07-25 22:24 | 夷酋烈像
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