函館奉行所
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1854年(安政元年)にペリー極東艦隊が来航し日米和親条約を締結しました。ペリーは函館にも上陸します。そして函館が開港されます。このことは松前藩の立場を微妙なものにします。幕府は北方の防衛と開拓を進めるため、松前藩の領地を乙部村から木古内村までとし、その他全ての蝦夷地を幕府の直轄地にしてしまいます。そして東北六藩に分割統治させるのです。松前藩の衰退はこれで決定的になります。こうして歴史の主役は松前から函館へと移っていくのです。

箱館奉行所は1864年(元治元年)幕府の北辺防備の拠点である五稜郭内に竣工しました。設計を担当したのは洋式軍学者の武田斐三郎という人です。ウィキペディアによると、大砲による戦闘が一般化した後のヨーロッパにおける稜堡式の築城様式を採用し堡を星型に配置したとあります。

その函館奉行所が140年ぶりに復元されました。忠実に復元するために、資材の調達に配慮するとともに、施工には各業種の匠の技が使われているとのことです。4年間の工期をかけ、材料を吟味し、最高の技術を駆使して再現したのです。

五稜郭公園には多くの観光客で溢れていました。お目当てはもちろん函館奉行所です。入場券を買うのにも待たされたほどです。残念ながら、時間の関係でゆっくり見ることができませんでした。撮影もISOを1600に設定するというミスを犯してしまい、写真はノイズでざらついています。しかし、日本建築の美しさと、きめ細やかな技術力を感じました。今度ゆっくり鑑賞したいと思います。
by manabinomori | 2010-08-14 21:17 | 松前の文化と自然
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